東大生による、東大生をさぐるメディア

沖縄の情熱溢れる努力家が東大に来るまで、と東大で感じていること、を聞いてみた!

 
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三浦康太郎
東京大学後期教養学部2年。宮城県石巻高校卒。現役で文科2類に合格。 学内では社会問題についての自主ゼミや起業サークルに参加。 経験格差を是正しつつ、没頭の技術を教育で広めることが目標。 今は、あえて遠回りに視覚や脳について学んでいる。 東龍網編集長。頑張る。
沖縄県の興南高校から4年ぶりに輩出された東大合格者、豊元慶太朗君。一浪で文科三類で入学し、今は後期教養学部教養学科地域文化研究分科へ進学されています。新米記者の私、豊元くんのパッションに圧倒されました。

ーーどのような子供時代を過ごしてきたんですか?

『幼稚園のころから中3まで剣道をしていました。小学校で週4回とか。勉強熱心な方ではなかったですね。物分かりはいい方だったかもしれませんが、学力試験で100人中20番くらいでした。小学校ではちょっと浮いていて、一人でゲームしたり、剣道を一緒にやっていた友達と遊んでいましたね。家族が早く寝ることが多かったから、夜更かしとかはありませんでしたが。』

ーー塾なんかも行かなかったんですか?

『もちろん(笑)。剣道は、小六のときキャプテンもやってたので、忙しかったですね。沖縄で団体戦優勝できたからよかったですが。』

ーーはー、それはすごい!

『中学行くときに先生が良くしてくれて、興南中を勧めてくれました。勉強もできるし剣道も強いところ。お金なかったんですが、親がローンを組んでくれて。あの先生への恩は大きいですね。』

ーー中学でも剣道を?

『はい、中3の夏までは毎日練習でした。平日は朝と夜。土日も午前午後の2回。正直、めちゃくちゃキツかったですね…。勉強に関しては、課題は出た分だけやっていましたが、プラスアルファは全くしていませんでした。期末テストとかは、数学と英語はちょっと得意だったので、暗記科目だけ対策してやっていました。剣道やめてから一桁台になりはじめました。特に、引退して次のテストでは急に1番でしたね!』

ーー文武両道極まれりですね!

『中3では生徒会長をやったり。学内の英語コンテストで優勝したり。楽しかったですね』

ーーモテたでしょ?

『まぁ、めっちゃモテてましたね(笑)

ーー高校受験は?

『興南は中高一貫ですが、内部進学生でも、入試を受けさせられます。その結果で高校入ってからのクラスが振り分けられる感じでした。内部進学生で1番を目指して実際取れたときは嬉しかったなぁ。』

ーー剣道はやめてしまったんですか?

『高校で剣道はほかの中学からめっちゃ強い人がくるから勝てないなとおもって。中学で練習がきつすぎたのもあって、やらないと決めていたんです。辞めるとき、先生と口論して、『どうせお前は勉強しないよ』って言われたのが本当に悔しくて、勉強めっちゃがんばろうと思ったんです。』

ーー最初から東大を狙っていたんですか?

『いえ、高校入って6月とかに文理選択させられたんですが、理系に進んだんです。当初は東工大を目指しました。ただ、高1の夏くらいに言語学が面白いなって思って。ベネッセの企画で好きな学問領域を送るとその分野の学術用語を返すっていうのがあって、そこに言語学って送ったら、『大母音推移』っていう用語が返ってきて。ナンジャコリャ、面白いな、と。原体験として、叔母さんがアメリカ人ハーフの人と結婚して英語喋ってたのを見て、幼稚園のころから英語やりたくなってたんです。それで小1でローマ字教えてもらって、みんなよりちょっとできるようになったんですよね。そうして他の人より言語に親しんでいたんだけれど、やっぱりわからない記号がわかるようになるってすごい神秘的だなと思いまして。』

ーー本当に楽しそうに語りますね(笑)。それで文転したんですか?

『いえ、高2では物理と化学もやってましたよ。授業についていって、校内のテストでそこそこの点を取れるくらいには。習っている以上は絶対に負けたくなかったんですよね。もちろん入試で要らないとは知っていたんですが、絶対に手を抜きたくなかった。』

ーー時間がもったいないとは思わなかったんですか?

『もったいないとは思わなかったですね。『文系なのに理系もできる、ラッキー』と(笑)。一生懸命にやるのが好きだし、人より何かができるって嬉しいじゃないですか? 』

ーーそれは分かりますね。でも実際にやってのけるのはすごい…。あ、言語学というなら、外大とかは考えなかったんですか?

『外大に行こうとも思ったんですが、受験科目が英語と1Aと世界史のみで。それじゃだらけるだろうなと思って。一個上の、東大に行こうと決心しました。落ちても受かっても、目指して損はないと思いましたし。』

ーー高校では部活はやらなかったんですか?

『いえ、剣道引退した後、一気に暇になったのでずっと誘われていた社会科部に入りました。週1で著名な人にインタビューしにいってたんです。池上彰さんとか茂木健一郎さんとか。あと、石垣島でG1サミットがあったとき沖縄代表として行ったり。石垣島にあったユーグレナっていう会社の社長に会いに行ったこともあります。それと、自分の中で大きいのは、ラジオに出演していたことですね』

ーーラジオ!?

『社会科部の先生が、那覇市だけで放送されているラジオで、月に1回の1時間の枠を取ってきてくれて。帰省した時には今でもゲスト出演させてもらったりしています。そういえば、本も出しましたっけ』

ーー(絶句)

『こんな高校生は日本でも珍しいだろうなと自覚してました。だからこそ、勉強でも頑張りたかったんです。このまま珍しいだけの沖縄の高校生で終わりたくはなかった。』

ーー東大に行くことは周囲には…?

『東大に行くって聞かれるたびに言ってました。「えっ?」という反応をされがちでしたが、自分は胸張って受験してたから、判定が何であろうと東大受験生を名乗ってたんです。学校の全校生徒の朝会とかで、仲の良かった校長先生にみんなの前で受験の調子を報告させられたこともありましたね(笑)。』

ーーそれはすごい。実際、受験の調子はどうだったんでしょう。

『高3の模試はC-Eくらいでした。7時から学校に行って、学校が20時まで空いてたからそれまでらちゃんと勉強してたので、模範的な受験生ではあったかな、と。高三の時は朝の4時半から勉強してたこともありました。勉強法としては、僕はSNSが好きなので、外国人とつながるためのサイト経由で、フィンランド人と韓国人とLINEしてました。英語と韓国語、ちょっとできるようになりましたね。』

ーーへぇ、それは楽しそう!いい勉強法だと思います。それでも現役では届かなかったのですか。

『落ちた時は、悔しくて泣きましたね。家のリビングで、スマホから受験番号を確認したんですが、ないだろうなと思いながら見て、やっぱりなかった。でも、得点開示がきて、似た数字が並んでるなと思ったら、合格最低点からあと3点だったんです。それで、ふつふつと自信が湧きました。三ヶ月あれば受かる!と思いました。』

ーーそれから1年の浪人生活は、どのようにお過ごしでしたか?

『持続的に勉強できるようにゆったりと勉強してました。塾の自習室に通って、夏までは毎日8時間から10時間は勉強してたかな。ちょっとフランス語をかじったりしつつ。でもだんだん精神的に不安になり始めて集中できなくなって、秋くらいからは6から8時間、冬くらいからはもっと減っていったかな…夜も眠れなくなってくるし、食欲も…』

ーーうーん、辛い。

『そんな時、親や塾の友達がいい話相手になってくれたんですよね。センターも伸び悩んで、勉強向いてないんじゃないか?という思いと、それでも東大に行きたいんだ、という思いに挟まれる形でした。』

ーー東大に合格したのは誰のおかげだと思っていますか?

『第一に母、第二に高校のときの社会科部の顧問の先生、あとはZ会の宮原さんですね。宮原さんには、毎週メールで相談に乗ってもらってたんです。模試の成績とかも全部送ってました。知らない人に、無償でサポートしようとする大人が世の中にいるんだ!と感動しました。浪人の受験前に送り出しにきてくれて、めっちゃ泣いてから、受験に臨みました。家にそんなにお金がなかったし、塾も大したとこ行けなかったけれど、行くところ行くところにいい人がいて、自分を見守ってくれるんです。高校の世界史の先生は、世界史の受講者は一桁だったし、そもそも日本史が専門の先生だったんです!でも毎日世界史第一問の600字添削をしてくれていました。もちろん教えたことなんてないから、一緒に調べてくれたり。面白いのが、その人が僕が通った幼稚園の園長の息子さんだったんですよ。縁を感じます。自分は幸運だなぁと思います』

ーーいい話だ…

『ただ、嫌な先生がどこかで重要な役割を担うこともあると思ってて。嫌な世界史の先生がいて、それに負けたくなくてめっちゃ勉強したら、いつの間にか世界史が好きになっていたんですよね(笑)。そういう意味ではあの人には感謝しています。』

ーー東大に入ってよかったことは?

『やっぱり、自信を持って勉強できるのがいいです。東大に行ったんだからいちばんを目指していいって、思えるから、存分に勉強できる。それとやっぱり、周りの人がいいです。癖の強い奴もいるし、意識の高い人も低い人もいるけれど、それでも対等に語れるってのがいいです。議論できる環境というのは貴重ですね。地元だと、なんだかんだ『豊元が正しいんだろう』っていう雰囲気が出ていて、自分の誤りを誰も指摘してくれなかった。批判し合う風土があるってのはいいです。

ーー東大生の弱点とは?

『学習環境に恵まれなかった人の気持ちがわからなすぎることですね。なんでも努力で勝ち取ったと思ってる。学力は既得権益なんですよ。慶応目指して明治いったら出来損ない、マーチ以下はゴミ、みたいなこと言うやつも、残念ながらいる。進学校の人が、自称進学校です、とか言ってるのを見るときほどイラつくことはないですね。

頑張ってるけど成長しない人の気持ちってのも僕にはわかるんですよ…もちろんそもそも努力が足りない人がいるのもわかってますが、努力ができるのも恵まれていることだとわかってない東大生は多い気がします…。』

東大生について、地方高校生に語る豊元さん

ーー今、大学に行く意義とは?

『ただ大学に行くだけでは何も変わらないですよね。現代人って、他人から認められる価値だけにしか重きを置いていない気がしている。それって、その他人がいなくなった時点で価値なくなるのではないかと思います。大学は失敗しても、なんとか許される。試行錯誤して良い環境なんです。そこで、自分が本当に大事だと思えるものを探りまくれるのが魅力かなぁと。色々バイトしてみるのも価値があるかもしれないし、自分がこれだと思えるものがあるなら思い切り勉強しても良い。僕は、他人に流されて消費されるだけの人生は嫌ですよ。就職対策で、〜〜検定を取りまくってるような人はピントがずれているように思えてしまうなぁ』

ーー受験の時に心に留めていた言葉はありますか?

『まくとぅそーけー、なんくるないさ』。誠を尽くしたらあとはどうにかなる心配するな、っていう意味です。僕は結果よりもプロセス重視派で、なおかつ、人生は基本的に成功すると思ってるんです。だから途中で失敗しても大丈夫、人生の途中過程を生きているのだという認識なんですよね。例えば僕は東大の進学選択で第一希望のところには行けませんでしたが、いまの学科だけが語学の単位めちゃくちゃ多く取れたり、サブメジャーをカスタマイズできたり、韓国社会に関する関心が生かせる場があったりと、いいことばかりなんです。しかも、もともと行きたかったところの講義も出られる。何が幸いするかはわかりませんよ。』

ーー東大ではどんなことを?

『東アジアの漢字の発音とかに興味があったので中国語を選択しました。それともともとちょっとわかった韓国語の勉強も本格的にやって、言語を楽しんでいます。加えて、いまは東アジアの政治や歴史を学んでいます。教育格差など、社会学的なことへの興味も尽きませんね。旅行とかいくたびにちょっと勉強して、現地の人に現地語で挨拶して驚かせたりするのも、楽しいですね(笑)。他にも地方生を応援するためのFairWindという団体や、合格サプリというフリーペーパーのライター、それにInstagramでの情報発信などもしてきました。Instagramアカウントは @piperita_syです。これから留学することを考えていて、留学についても発信していこうと思うので、興味ある方は是非!』

ーー最後に東大を目指す受験生にメッセージを!

『僕は努力したからこそ、過去の自分に恥じない自分であれるように、今がんばろうと思えています。努力することの意味を感じながら東大を目指しましょう!』

おわりに

最後までお読みくださりありがとうございました。私たち『東龍門』は、東大生ならではのノウハウを活かし、受験や勉強に役立つ情報をTwitterでも発信しています。よかったらチェックしてみてください。また、質問などもお気軽にどうぞ!

執筆:三浦康太郎

編集:ニシヤマミオ、遠藤和真

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三浦康太郎
東京大学後期教養学部2年。宮城県石巻高校卒。現役で文科2類に合格。 学内では社会問題についての自主ゼミや起業サークルに参加。 経験格差を是正しつつ、没頭の技術を教育で広めることが目標。 今は、あえて遠回りに視覚や脳について学んでいる。 東龍網編集長。頑張る。

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