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医師になるべき男!理科2類から執念の大猛追!

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「遠回りのようで一番の近道だったのかもしれません」とにこやかに話してくれたのは2年生の柴田潤一郎さん。理科2類から医学部医学科への進学権を見事手に入れた努力の人間だ。“東大”という目標を達成し“医師になる”という夢への一歩を踏み出した彼だが、その裏では“理3合格”を3回目指し、3回全て逃してしまった。プレッシャーと苦渋の決断の連続だった彼のこれまでの道のりを紹介する。

僕が東大医学部を目指した理由

――“東大医学部”しかもその中でも医学科を目指すのは生半可な気持ちではやっていけないと思うのですが、柴田さんの場合はどのような経緯があるのでしょうか。

『僕の場合は、“東大”と“医学部”に分かれるのですが、東大を目指すようになったのは高校時代に通っていた東進の塾長のひと声です。部活に参加しながらも勉強にもしっかりと取り組んでいましたが、塾長が「東大は?」と。僕も言われると乗っかっていくタイプなので数学なんかはどんどん先取りでやっていって、東大への気持ちが確かなものとなっていきました。』

――それでは、“医学部”という点についてはどうでしょうか。

『2年の後半に一つきっかけがあって、本当に行きたいと思うようになったのが3年のゴールデンウィーク明けです。』

――何があったんですか?

『それまでは勉強にずいぶんとエネルギーを割いていましたが、2年後半で先生に「勉強以外のこともしておいた方がいいぞ」と。それで渋々ではあったのですが生徒会に入りました。そこで仲良くなった女子生徒がいるのですが、この子と将来の話をしていく中で「医者にならないの?」と言われたんですよね。もともと、医者はかっこいいなくらいの憧れはあったのですが、それが目標に変わっていったのは、生徒会でこの女の子と出会ったことですね。』

――意外と何気ない感じのきっかけ。

『そうですよね。それで医学部という道を考え出しました。でも、今までずっと「東大東大」と言っていたのに、いきなり他大医学部を目指すというのも自分の中の何かが許さなかったんです。』

――と、なると。

『東大医学部ですよね。もっと言えば東大理3。でも、僕の高校は東大合格は多くても3人。しかも理3合格はいないんです。だから、何点中何点取ればいいみたいなことは理解しても実際のレベル感が全く分からないんですよ。』

――確かにそれは不安になります。

『でも、ちょうど2年生を終えた春休み中に、進振り制度を知りました。「理3でなくても医学部に行けるぞ」と。理3を目指すけど、もしもの場合の理2という選択肢も持っておくことができました。』

――それで本当に医学部への決意をしたのが、3年のGW明け。

『すごいショックなことが起きました。一緒に東大を目指していた親友の伊藤くんのつながりで関わりが大きかった後輩の女の子がGW中に亡くなってしまったんです。全校集会でその知らせを聞いたときには何にも考えられなくて。』

――確かに大きなショックですね。

『僕はたまたま親交があったけど、3年生のほとんどはその子のことは全く知らないんですよ。だから仕方のないことかもしれないけれど、知らせを聞いた後も他人事みたいに振舞う人が多くて。知らない子のことだからってそういう態度でいられる人たちにイライラして、「こんな人たちにはなりたくない。弱い立場の目線に立てる人間になりたい」と強く思ったんですよね。』

――それで医者になることを目指し始めたんですね。

一回目の挑戦―予期せぬ結果―

――柴田さんは理2合格ですが、理3は厳しかったのですか?

『秋模試でも理3合格を目指すには少しきつい成績だったんです。センターは830点くらいだったのですが、やっぱりこのままでは理3は無理と判断しました。浪人も嫌だったのでここは理2に切り替えて出願しました。』

――理3は諦めたんですね。

『はい。試験慣れのために慶応の理工学部を受けて合格はしましたが、東大だけを見ていたので入学金入れませんでした。「受からないと」というプレッシャーはのしかかりましたが、当日の二次試験の感触は良かったです。』

――結果は。

『まさかの不合格でした。パニックになりました。周りもみんな「え…」ってなりました。開示したら5点くらい届かずだったのですが、得意だったはずの数学が足を引っ張っていました。苦手科目でうまくいかないのは予想もフォローもできるから大きな問題はないけれど、得意科目で失敗することが不合格の一番の原因になると身をもって感じました。』

――そうすると、浪人?

『そうなんですよね。春休みの間は心が荒んでいました。でも、「今度こそ理3を受けて理3に合格してやる」という気持ちで浪人に突入しました。』

2回目の挑戦―苦渋の決断―

――やるからには、次こそ理3ですよね。

『手始めに、どうすれば理3に受かるかを考えました。それまでの僕は知識ばかりはあっても実践が足りていませんでした。猛者たちは瞬時に「あー、あの問題と同じパターンね」ってなるのに、僕はその場で一から考え出すから差がついてしまった。一段階下のレベルで戦っていて、追いつけるはずがないんですよ。ここで一回しっかりと自分の弱みに向き合いました。』

――そこから1年間、浪人生活はどのように進んでいきましたか?

『朝は7時に家を出て、夜は22時に家に着くという生活でした。浪人中は名古屋の予備校に通っていましたが、駅を挟んで反対方向に別の予備校に通っていた高校の友人と、何も考えずに趣味の話をしながら帰る時間が唯一心が休まる時間でした。5月から二次試験の直前までですね、毎日“21時07分名古屋発快速列車”の同じ車両で待ち合わせて。今でも時間をバッチリ覚えているんですよね。思い入れが深いです』

――2年目ともなるとプレッシャーも余計にかかってきますもんね。

『現役のときでさえ浪人はしたくないと考えていたので、今度こそ次はないですよね。だから浪人の年は防衛医科大を受けました。10月に一次、12月に二次に合格して一つは押さえておきました。でも、このこととは別にもう一つ懸念していたことがあって…』

――何でしょうか。

『いよいよ出願というときに、理3と理2の間くらいの成績だったらどうしようかと思っていました。理3に受かる自信があれば何も迷うことはありませんが、特にそうではなかった場合に理3に挑むか、堅く理2に行くかということです。もし、理3で落ちたら東大を諦めて防衛医科大に進学することになるし、理2で合格してもその後の進振りが大変になるので…』

――どうなりましたか?

『結局二回目も理2で出願しました。本当に苦渋の決断です。ただ当時は、目標と自分の能力との差、自分の性格を考慮した結果、確実に東大に入るための最善の選択として前向きに決めたことです。合格したのは本当にうれしかったですが、友人や家族が喜んだり、翌日に東京で家探しをしたりしている間も、進振りのことを考えると気が重くなる部分もありました。』

3回目の挑戦―もう一つの戦い―

――晴れて東大生になってからも、進振りのことをずっと考えていたんじゃないですか?

『そうですね。でも、入学式の翌々日に東大再受験のことを知ってしまったんですよ。』

――なんと?!

『驚きますよね(笑)やっぱり入学後は、新しい人と知り合って自己紹介で自分の科類を言うたびに、自分が理3の勝負から逃げてしまったことへのコンプレックスが積もっていったんです。でも、目標を口にすることでサポートしてくれる先輩や友人がいると考えたので積極的に「進振りで医学科に行きたい」と言っていました。そうしたら、サークルの新歓練習でたまたま知り合った子から再受験の情報をもらったんです。一回退学しなくちゃいけないのかと思ったら、籍を置いたまま再受験ができるじゃないか!と。』

――仮面浪人ですか?

『そうとも言えますが、僕の場合はもともと進振りで医学科に進むことを考えていたので、進振りから再受験にウェイトが移ることはなかったです。実際再受験の勉強が本格化したのは大学が夏休みに入ってからですかね。』

――超大変。

『お昼までは授業を埋めて、その後はずっと駒場キャンパスの図書館にこもって受験勉強という日々でした。』

――倒れちゃう。

『初志貫徹の人間なんで、進振りも再受験も一生懸命でしたね。秋冬になると大学の定期試験とセンター試験が被って、センター試験の科目間のときにドイツ語の勉強をしていました。(笑)』

――(笑)

『それが終わったら理3の二次試験ですよね。ここでやっと理3で出願できました。二次試験の感触としては五分五分で、3日目は10分くらいの1対3の面接もありました。』

――結果は?

『落ちてしまいました。でも、不合格を知った瞬間はそこまでのショックはありませんでした。すでに自分は東大生だからということではなく、いままで二回理3を諦めなければならなかった過去の自分を清算できた気がしたんです。ただ数日を経て、進振りが数ヶ月後に迫るという現実を前にして、これまではずっと医師を目指していたけれど。』

ドイツ語の教科書・参考書

情報戦をくぐり抜けて

――そうなんですね。進振りの調子はいかがでしたか。

『正直1年生が終わった時点では点数は厳しい気はしていましたが、だからといって点数だけを気にして履修を組むことはしませんでした。現実を見て他の進路にも対応できる履修も考えましたが、やっぱり最後まで医学科にしがみつきたいと思いました。だから点数はもちろん大事ですが、それだけにとらわれることなく学びたいことを学びたい。興味ある授業を取るスタイルはずっと貫きました。それと、実は再受験年の年末年始はシンガポールに旅行していたんですよ。』

――え?

『受験期のずいぶん前に、知り合いの誘いで年末年始のチケットを取っていたんですよね。直前に行くか行かないか迷いましたが、結局行ったんです。もし今度の理3に落ちたとき、大学生の自分としては何も残らなくなっちゃうと思ったんですよね。できるうちにできることはやろうと思ったんです。』

海の生命科学の授業で訪れた浜名湖

――だから進振りがあるけど、自分の興味は犠牲にしたくなかったんですね。今は見事医学科に決まっていますが、何か秘訣はあったんですか。

『これも多くの人に助けてもらいました。進振りって本当に情報戦じゃないですか。ある先輩にいろいろな対策をしてもらいました。』

――対策とは。点数だけじゃないんですか?

医学科は志望理由書と面接があるんです。点数的には80点後半は取っていましたが、目標の90点台には届かなかった。結果、僕は第一段階では医学科に落ちてしまいましたが、人数と点数を見て第二段階でも医学科に希望を出しました。面接なんてその人の性格を見る程度なのかなと思っていたんですが、違うんです。』

――どういうことですか?

『わざわざ第二段階で志望理由書と面接を実施するということは、点数以外の部分も見られるに違いないと思ったんです。だとしたら、面接での逆転勝利の可能性がないわけではない。だから、実際に医学科に進学した先輩に、僕の志望理由書にたくさんのアドバイスをいただいて、ご自身が面接で聞かれたことや、うまい答え方などをありがたいことに事細かに全てデータをもらいました。実際の面接は20~30分でしたが、その方の指導のおかげで医学科に入ることができました。』

――すごい!

『いろんな人に連絡しました。これで本当に高校生のときの希望が叶えられましたよね。これまではどこか逃げているところがあったんですが、やっと報われた気がします。』

――お見事です。今後目指すところはありますか?

理3の人は学外でもアクティブな人が多いですね。学業に関しては僕はやっとここまで来ましたが、大学生として何かをやれているのかと問われればそれは疑問です。だからシンガポールの件もそうですが、やるべきこととは別に、大学生のうちにできることを存分にしたいですね。あと、僕が医者になりたいと思ったきっかけの医師に東大医学部卒の福島孝徳先生がいらっしゃいます。高校生のときにテレビで拝見して、患者さんだけでなくてそのご家族、周りの人たちのこともしっかりと考えている姿に心が打たれました。だから、僕も将来は患者さんの病気だけでなくて、その人を支えている周りの人たちも救える医者になりたいと思います。』

――では最後に、医学部を目指す高校生の皆さんや医学科に進学したい東大の後輩に向けたメッセージをください。

『僕は長い道のりを経てここまでやってきましたが、やっぱり難易度はかなり高いです。でも、行けたらいいなあではなくで、自分は何がなんでも医進してやるんだ!という執念があれば、決して超えられない壁はないと思っています。』

おわりに

最後までお読みくださりありがとうございました。私たち『東龍門』は、東大生ならではのノウハウを活かして受験や勉強に役立つ情報をTwitterでも発信しています。質問もお気軽にどうぞ!

執筆:西山美緒

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