不登校×非進学校×ド田舎。逆境の中でも、絶えず自分の世界を広げよう!

2年生の小川護央(もりおう)さん。「とにかく大学に行きたい」という思いが強かったという彼は、実は中学時代は不登校。高校浪人も経験した彼が、どうして東大を目指したのか、そのきっかけは一体どこにあるのかを探るべく今回取材にうかがった。
怒りが源泉
――小川さんは不登校だったということですが、それが勉強へ向かうようになった理由は何でしょうか。,
『親が言っていたのですが、僕はとにかく「大学に行きたい」と言っていたそうです。大学に対する憧れが強かったみたいですね。』
――その理由は?
『これも僕自身はあまり覚えていないのですが、親が言うには、教員に対する怒り。僕が不登校になったことで、親が学校側からいろいろ言われたこともあって、「教員を見返してやる」という思いだったそう。それで、そのためには勉強で身を立てるのが一番だろうと。正直そのときは、勉強でどこまで何をしたらこの思いを達成できるかなんてことは分かりませんでしたが、とりあえず大学に行くということが、そのゴールになりえるんじゃないかと考えていたみたいです。』
――では、そのときは特に東大ということは考えていなかったのですか。
『そうですね。どちらかといえば、「高校の一つ上のステージ」としての大学というイメージでしたね。』

――そして、不登校だった時期を経て入学したのが、私立青森山田高校。一般には、数々の名アスリートを輩出する学校として有名です。
『そうですよね。実は一回高校受験に失敗して、浪人をしてから2回目の高校受験で入学したんです。でも、実はこれは滑り止め入学で、本当は公立高校に行きたかったんです。』
――地方は、私立よりも公立の方が、学力が高いという感じですもんね。
『第一志望の公立校に入るためには試験で500点中420点は取らなければならないのですが、僕は380点で落ちました。青森山田に入学後は特進クラスに一応入ったのですが、レベル的には東大はおろか、地元の国立大に受かれば万々歳なくらいでした。』
――ならば、もともと大学に行きたいということは考えていたとはいえ、そこから東大を目指すというのはなかなか思いつかない気もしますが。
『本格的に東大を目標に据えたのは高校2年生ですね。3つ理由があるんですけど…』
東大を見据える理由となったのは…?
――1つ目は。
『担任の先生のすすめです。僕はやるだけやれば伸びるタイプだったとのこと。』
――2つ目は。
『青森山田って過去に東大合格者がいないんです。なので地元ではあくまで“落ちこぼれが行く学校“。そんな中でも、不登校だった僕が青森山田から東大に合格することで、地元のそういう子たちやその親御さんたちに希望を与えられたらいいなって思っていましたね。』
――地元を背負ったわけだ。
『かっこよく言えば(笑)』
――では、最後の理由というのは。
『福岡で行われたサマースクールに参加したことですね。「日本の次世代リーダー養成塾」ってもので、僕は11期生です。』
――名前からしてすごいですね(笑)
『僕は青森県の推薦枠で面接に合格したのですが、東京の名門高校の人もいれば、中国、韓国、マレーシアの人もいて、本当にいろんなエリアから人々が集まって。』
――やっぱりすごい。
『それで、そこで出会った人たちに感銘を受けたんです。僕は青森県の蓬田村(よもぎたむら)出身で、中学までは25人くらいの同級生たちはほとんどメンバーも変わらず、高校も進学校というわけでもない。それまでに見てきた世界が本当に狭くて、多種多様な価値観なんてものは存在しない。それだったのに、これに参加した二週間で、「同じ高校生なのに、こんなにこれからの経済や世界のことを語れる人間がいるのか!」ってものすごい刺激を受けたんですよ。それで、ここで交流した人たちは東大を目指している人が多くて、僕の中でも「東大」という意識が高まって、目指すようになりました。』

――それは、すごい経験でしたね。
『もう、カルチャーショックですよ(笑)』
――帰ってきてから実際に東大に向けて動いたことはありますか。
『秋から東進に通いました。高1の春休みに仙台の河合塾に行ったことがあって。そこで思ったのが、「こんなにいい学習環境があれば、そりゃ成績もいいわけだ!」って。それで環境って大切だなとは痛感していたんで、僕も高2の秋から塾に。やると決めたらやれるのですが、なんせ戦略性が乏しかったので、そこを塾で補完しました。』
絶対にやってはいけない勉強法
――それからの受験生活というのはどうでしたか。
『「絶対にやってはいけない」っていう話をしていいですか?』
――むしろ聞きたいです。
『僕、現役時代に体調がガタ崩れしたんですよ。睡眠時間も1時間半で勉強しまくって。でも、そうしていたら県でトップ10に入るとかいう成果が出ていたから、やめられなかったんですよね。』
――絶対ダメな展開の予感…。
『そうしていたら、当然のように高3の秋からしわ寄せが来ましたね。9月に入ると常時体の節々が痛くて、一週間で10回以上吐くこともあって。10月は全くと言っていいほど勉強できなくて、11月、12月にはペースが落とさざるを得ず…。』
――そうしているうちに試験本番。
『センターは751点でした。これは自分的にはよくやったと思います。「足きり引っ掛からないじゃん!」って。でも、二次試験前のプレ模試が440点中130点くらい。』
――少し不安になりますね。
『案の定、現役では合格できませんでした。でも、点数開示を見たら239点取れていたんですよ!』
――あら。
『これを見て「自分は案外実力があるかも?」と思ったんです。そもそも、途中で大きく勉強のペースを落とした期間が1ヶ月もあったのに、こんな結果になるとは思ってもいなくて。それで浪人しようと決意できました。この結果に背中を押された感はありますね。』


君が見ているのは世界の一部でしかない
――そして1年後、大学入学というかねてからの思いを達成したわけですが、そのことで自分に変化が出た部分はありますか。
『大学に入るまでは自分の意見を押し殺していた部分があるのですが、多様な人と触れ合う中で「絶対的な正しさなんて存在しないし、各人の意見の衝突はあって当然だ」と思えるようになりました。そのおかげで自分の意見を持ち、きちんと伝えようと思えるようになりました。』
――その変化は東大に入ったからですか?それとも大学生になったからですか?
『おそらく、大学生になったからだと思います。確かに東大はみんな優秀で、各人の意見はよく練られています。ですが、いろんな人や意見、考え方が存在している中で、どのようにしてより良い考えに至ることができるか、ということが何よりも大切なこと。意見の質云々ではない。なので、大学の名前は関係ないんじゃないかなって思います。』
――ありがとうございました。最後にもう一言いただきたいのですが、「特にこの人たちに向けて!」ということはありますか。
『やっぱり、地方の中高生ですかね。』
――では、地方の中高生に向けて、お願いします!
『今君が見ている世界は全体の中のほんの一部でしかありません。そして、その狭い世界にいる君も、君自身の中のほんの一部の君でしかありません。親、友だち、先生に対する接し方は全然違いますよね。それと同じで、違う環境に身を置いて、いろんな人に出会えば、いろんな“自分”が見えてきます。絶えず自分の世界を広げる努力を欠かさないでくださいね。そして、その中で愛せる自分に出会って、大切にしていってください。自分を愛せないことほど、不幸なことはないですよ。お互い、頑張りましょう。』
おわりに
最後までお読みくださりありがとうございました。私たち『東龍門』は、東大生ならではのノウハウを活かし、受験や勉強に役立つ情報をTwitterでも発信しています。よかったらチェックしてみてください。また、質問などもお気軽にどうぞ!
執筆:西山美緒